指揮者と作曲家を両立させたマーラー、めちゃくちゃ鬼指揮者だった!?

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指揮者と作曲家を両立させたマーラー、めちゃくちゃ鬼指揮者だった!?

今回はウィーンの作曲家兼指揮者であるグスタフ・マーラーについて解析していきます

一番有名な作品は交響曲第五番嬰ハ短調でしょうか、非常に多彩な表現が印象的ですね。

指揮者と作曲家を両立させたハイブリッド音楽家

マーラーは生まれた当初から音楽の才能を開花させており、父親はマーラー自身が幼いころから良い音楽教育を受けられるように尽力しました。

その結果幼少期から様々な音楽経験を積み、また文学などの芸術にも触れ、15歳に現在のウィーン国立音楽大学に入学するなど、まさに音楽家としてのルートをたどっていきました。

当時から作曲をしていましたが、指揮者としての才能も評価され、23歳のころから指揮者として様々な歌劇場の楽長に就任し、指揮者としてのキャリアもスタートさせていきます。

敵を作りやすい性格だったマーラー?こんな指揮者はいやだ!

指揮者としてどのような人物だったかというと、非常に厳しい態度をとり楽団員から反発を買うことも多くあったそうです。

例えば、オーケストラの練習中に音程の悪い楽団員に向かって指揮棒を突き出してみたり癇癪を起したりなど、非常に高圧的な指揮者であったともされています。

その原因としてはマーラーの生真面目で堅い性格にあったのでしょう。

とはいっても、全ての音楽家から嫌われていたかというとそうではありません。

マーラーは無名の音楽家に対し、とても寛大な対応をしており援助を惜しみませんでした。しかし、少し名の売れてきていて己惚れているような音楽家たちには冷たく、厳しい態度をとっていったのです。

そう考えると、指揮者としての高圧的な態度という面が取り出されてしまうのも、なんだかわからなくもないような気がしますね。

真面目過ぎるが故の性格でありますが、このように高い意識をもって音楽に取り組んでいたマーラーは逆に好感を持てる気がします。

やはり芸術家に己惚れは必至でありますがそれは傲慢ですからね。

故郷がない人間? 出身はウィーンじゃないの?

マーラーの故郷についてですが、当時の様々な背景により、自分自身で「故郷がない人間だ」と言っています。

なぜかというと、指揮者としてはウィーンで評価されましたが作曲としては全く評価されず、また交響曲のうちの大半が故郷ウィーンではなくドイツで初演され、そして決め手は世界的に国民の間ではユダヤ人として認識されているためです。

・指揮者として評価されたのはウィーン

・作曲家として大事である交響曲の初演は大半がドイツ

・世界的な認識としてはユダヤ人

 

マーラーはこのことを自認しており、ニューヨークでの取材では「ボヘミアンです」と応えるなどのおもしろエピソードが残っています。

マーラーの壮大な規模の交響曲

マーラーは交響曲の作曲家と言われるほどに優れた交響曲を残していますが、特徴的なのはその規模にあります。

ほとんどが大編成であり、また当時としては珍しく声楽を伴っているのです。(最初にそれを実施したのはベートーヴェンの第九です)

また大規模であることから演奏時間も比較的長いのが特徴です。そのためクラシックをあまり聞かない人からは、長くてよくわからない人と思われがちですが、そんなことはないのです。

実際に聞いてみると、分かりやすい旋律線であったり、親しみやすい音楽を多く残しています。

とくに有名なのはマーラーの交響曲第五番であり、このころはマーラーの絶頂期などとも言われています。

五楽章からなる交響曲ですが、マーラーにしかないあらゆる角度からの音楽へのアプローチが特徴的ですので是非聞いてみてください。

 

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