チャイコフスキーってどんな人? 美しすぎるメロディが有名の作曲家の生涯

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今回はロシアの作曲家である、チャイコフスキーについて解説していきます。

チャイコフスキーで有名な曲といえば、バレエ音楽 くるみ割り人形から「花のワルツ」でしょうか?

目次

23歳から作曲家として活動を始める、スロースターターな音楽家

本名はピョートル・イリイチ・チャイコフスキーでロシアのロマン派を生きた作曲家です。

音楽的な特徴としてはとにかくロマンティックで美しい旋律華やかなオーケストレーションなど、繊細で優美かと思えば怒りや叫びといった咆哮も表現する、多彩な音楽が魅力的です。

作曲家として活躍し始めたのは23歳からであり、この時代の作曲家の経歴としてはとても遅いスタートとなっています。

(というか現代でも遅いですね!)

両親の意図に沿って生きた若い時代

その理由は両親の教育方針にありました。

チャイコフスキー自身、幼少期から音楽の才能を示していてピアノを習うなどしていましたが、両親が息子であるチャイコフスキーを音楽家にするつもりなど全くなく、10歳の時にロシアのサンクトペテルブルグの学校に入学させました。

この学校は音楽学校などではなく、法律を専門に学ぶ学校であり、卒業後は法務省にて働いたのです。

しかし、音楽家として活動したい彼は法務省での仕事に力が入るわけがなく、後にペテルブルグにある音楽院に入学をし、音楽を専門に学ぶこととなります。

両親の意思に背いた行動でしたが、父親は息子の意思を尊重し、音楽の道への転換を後押ししたそうです。

そんな時にチャイコフスキー自身はこんな言葉を残しました。

「天の命じる道を歩みたいと思っているだけだ、有名な作曲家になれるか、貧しい教師に終わるかは分からない。」

(手紙からの抜粋)

このことからチャイコフスキー自身は相当な覚悟もって音楽の道を生きていこうとしていたことが伺えますね。

それと同時に、彼の謙虚さなども伺うことができます。

美しすぎるメロディが多い彼の性格はどうだったのか

彼の音楽の特徴といえば、やはりその叙情的なメロディでしょう。

彼にとって最後の交響曲である、交響曲第六番「悲愴」では彼の特徴を顕著に感じることができます。

あまりの美しさ、ロマンティックさに一部ではそれを嫌う人も存在するのが現実です。

(その点については諸説あります、音楽の方向性の違いが当然のようにある世界で、チャイコフスキーのようなロマンティックなメロディを嫌う人がいるのは、きわめて普遍的なことです。それが悪いわけでも良いわけでもなく、善悪で判断されない存在なのが芸術なのです)

なぜ、このような美しいロマンティックなメロディが多く生み出されたかというと、彼自身が非常に繊細な心の持ち主だったからです。

彼は世界にある、あらゆる弱いものに視点を向け、それに対する理解や共感を持ち、深い愛情を持って行動していました。

また、彼が同性愛者であったことも影響していると言われています。

なぜなら、当時のロシアは現在よりも同性愛に対する差別が著しく酷かったため、彼自身の個性を公にすることが難しかったのです。

その孤独感が芸術に昇華されていったがために、非常に美しくロマンティックなメロディが産まれていったのだと考えられます。

美しいだけじゃない、活力あふれて今も愛され続ける明るい音楽

美しいメロディが有名ではありますが、もちろんそれだけでなく活力的な音楽を残していることも確かです。

活気あふれるチャイコフスキーの音楽をまとめてみましたので、是非聴いてみてください。

・交響曲第四番 四楽章

・祝典序曲「1812年」

 

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