ドヴォルザークの新世界は誰もが絶対に聞いたことがあるあの歌だった!?
こんにちは、今回はチェコの作曲家であるアントニン・ドヴォルザークについて解説していきたいと思います。
有名な曲は交響曲第九番「新世界より」でしょうか?
ちなみにこのドヴォルザークという名前ですが、チェコ語であり発音によってはドヴォジャークやドヴォルジャーク、ドヴォジャックなど日本では様々なカタカナ表記が存在しています。もっとチェコ語に近く言うと、ディヴォアジャックなどとも発音します。
その中でも日本でよく見る表記としてはドヴォルザークかドボルザークぐらいでしょうか?
ドヴォルジャークと発音してる方は体感的にあまりいないような気がします。
(ここらへんは英語のアップルをアッポーと言うかの違いのようなもので特に難しく考える必要はありません。)
宿屋と肉屋の間に生まれたドヴォルザークの生い立ち
ドヴォルザークは1841年に北ボヘミアで生まれました。
両親は宿屋と肉屋を経営していて幼少期からヴァイオリンを習っていたそうです。
その腕は徐々に上達していき、最終的にはオーケストラのヴィオラ奏者として活躍していました。
熱狂的なワグネリアンだった?
ドヴォルザークの若い頃はワーグナーの影響を強く受けたとされています。
例として、彼が最初に作ったオペラ「アルフレート」に用いられる手法がワーグナーの用いたライトモティーフ手法と似ている点などが挙げられます。
また、同じ時期に作曲されていた弦楽四重奏曲にも非常に似ている点があるのもドヴォルザークがワグネリアンであった決定的な証拠となっています。
ドヴォルザークが書いた最後の交響曲、新世界
ドヴォルザークが最後に書いた交響曲第九番 新世界より は非常に有名な作品ですね。
この新世界よりは作曲者本人によって名付けられたタイトルであるため、ベートーヴェンの交響曲第五番 運命とは違う性質です。
ドヴォルザークは後半生、年俸などの理由を筆頭に故郷であるチェコを離れアメリカの音楽院にて仕事をするようになります。
そこでインスピレーションを受けこの交響曲は作曲されましたが、アメリカから故郷へという意味を込めて「新世界より」と名付けられたのではないかとされています。
余談ですが、私のような深読みをしてしまうような音楽家はこの四楽章の終わりがどうしても悲観的に聞こえてしまうのです。
彼はアメリカに行ってなにかを失っていたりするのではないかとか、他の交響曲を聴いてみてもこの終わり方はドヴォルザークの中では少し珍しく感じるため、何があったんだろう..?というような感情になってしまったのは確かです。
ただし一般的には、四楽章の終わり方は新世界から夕日が沈んでいく様子を表しているなどとされており、深読みせずそちらの解釈でいたほうが正しいのだろうと感じています。
ドヴォルザークの新世界は「家路」?
突然ですが、「遠き 山に 日は落ちて」の歌詞で有名な家路という曲はご存知でしょうか? 夕方のチャイムであったり小学校のころに習ったなどというかたはいらっしゃるのではないでしょうか。
実はこの曲、ドヴォルザークの交響曲第九番の二楽章がもととなっているのです。
ドヴォルザークの弟子がこの二楽章に歌詞をつけたのが始まりとされており、それが日本に普及していき今では誰もが知るメロディへと変わっていきました。
交響曲ではコールアングレという楽器によって演奏されるソロですが、非常によく知られているメロディであるために奏者へかかるプレッシャーというのはかなりのものになっています。
ソロでさえ緊張するのはたしかですがこれほどに有名だと多少の音程のミスもすぐバレてしまいますもんね…
ドヴォルザークが最後に書いたチェコの音楽は新世界ではない!
ドヴォルザークは渡米する以前に交響曲第八番を書いていました。
これはアメリカ音楽を吸収する前にかかれていることから、
[st-minihukidashi fontawesome=”” fontsize=”” fontweight=”” bgcolor=”#f3f3f3″ color=”#000000″ margin=”0 0 20px 0″ radius=”” position=”” add_boxstyle=””]ドヴォルザークの国民楽派としての最高傑作は八番なんだ![/st-minihukidashi]
と主張する人もいらっしゃいます。
これについても納得はできるのですが、やはり九番も優れた作品であるため、九番を否定する気にはなりませんね
ドヴォルザークの魅力が詰まった作品
いかがでしたでしょうか、ドヴォルザークはその誰にでも親しみやすいメロディ性からメロディーメーカーなんて呼ばれたりもします。
そんなドヴォルザークの魅力が詰まった曲を3つ紹介しますので、ぜひ聞いてみてください。
序曲「謝肉祭」
ユーモレスク
チェロ協奏曲 ロ短調