ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第二番」は精神衰弱の末作られた?
こんにちは、今回はロシアの作曲家であるラフマニノフについて解説していきたいと思います。
有名な曲はやはり「ピアノ協奏曲第二番」でしょうか?
のだめカンタービレでもこの曲が使用されていて、それがきっかけで聞くようになった方も多いのではないでしょうか。
作曲家だけでなく、歴史に残るピアニストとして大きな成功を成し遂げた人物でもあります。
この記事ではラフマニノフがどんな人だったのかを見ていきます!
それでは見ていきましょう。
ラフマニノフはどんな性格だった?
ラフマニノフはピアニストとして活躍したこともありますが、どんな性格だったのでしょうか。
一般的にラフマニノフは生真面目な性格であったとされています。
その背景には幼少期に両親が離婚したことや、一家が破産してしまったことがあり、お世辞にも平和とは言えない幼少期を送ったせいであるとされています。
- ラフマニノフは生真面目な性格だった
- 複雑な幼少期を過ごした
また、チャイコフスキーのようになりたいと彼をとても尊敬していましたが、ある日突然急逝してしまいます。
そしてなによりも、作曲家として非常にプレッシャーの掛かるであろう、交響曲第一番の初演が失敗に終わってしまったのです。
そのことから、ラフマニノフは「自分は別人になってしまった」と言っていたそうです。
まとめてみると、生真面目でありながらも少し繊細な心があったと言えるでしょうか。
ラフマニノフは手が大きかった?手の大きさは?
ラフマニノフは身長2m超えの、いわば巨人でした。
また手が大きかったことでも有名であり、その大きさは左手で12度を抑えられたほどです。
12度となるとド~1オクターブ上のソまでですね。
ピアノを経験した方であればどれくらい常識破りな手の大きさかは理解できると思います。
(ちなみに筆者は10度が限界です。)
その持ち前の手の大きさがピアノ演奏にも良い効果をもたらしていたことは言うまでもありませんね。
また作曲家兼ピアニストであったことから、自分で作曲をし自作を初演することは多くありました。
しかし、自分が弾くのを想定して作っているわけですから手がさほど大きくないピアニストがラフマニノフの曲を弾こうとするととんでもなく難しいです。
そのため、抑えきれない和音などはアルペジオに分散して弾くというのが鉄則になっています。
ラフマニノフの曲をアルペジオに分散して弾く例
一番わかりやすい例だとピアノ協奏曲第二番の冒頭である和音連打の部分です。
10度の開きを求められるため、手が小さい方はアルペジオにして弾きます。
ピアノ協奏曲第二番は精神衰弱の末作られた傑作だった?
とても美しくラフマニノフで一番有名といっても過言ではないであろうこの曲ですが、精神衰弱の末作られたという背景がありました。
交響曲第一番という、作曲家にとって一番注目されるであろう初演が失敗に終わってしまい、しばらくの間精神衰弱に陥ってしまいます。
その間は作曲をすることができなくかなり落胆していたようです。
ピアノ協奏曲第二番が作曲された背景には精神衰弱を経験していた。
そんなラフマニノフを心配した友人たちが精神科医を紹介し、なんとか回復していき苦悩の末にできあったのがこのピアノ協奏曲第二番なのでした。
ピアノ協奏曲第3番
ラフマニノフといえば、前述した協奏曲第二番だけでなく、この第三番も有名です
ラフマニノフの代表作の一つと言えるでしょう。
この作品についてですが、非常に高度な演奏技術と音楽の欲求が有名でもあります。
そのため一部では、ラフマニノフがただただ弾けることを示したかっただけのように聞こえる。などと言われてしまいこの三番よりもピアノ協奏曲第二番を好む音楽家が一定数いるのも事実ではあります。
指揮者としてのマーラーは「この曲は傑作だ」と言っており、その頃になれば音楽の評価も一時期の不安定だった時期ほど悪いものではなくなっていきました。
ラフマニノフのまとめ
いかがでしたでしょうか、ラフマニノフは大きな体格を持ち、ピアノの名手としても活躍しながら以外にもナイーブな一面を持ち合わせた作曲家でありました。
叙情的で美しいラフマニノフの曲をまとめてみましたので、ぜひ聞いてみてください。