オーケストレーションの魔術師と呼ばれたラヴェルの悲劇的な最期とは

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    オーケストレーションの魔術師と呼ばれたラヴェルの悲劇的な最期とは

    今回は、フランスの作曲家であるモーリス・ラヴェルを解説していきたいと思います。

    有名な曲といえばバレエ音楽「ボレロ」でしょうか?「展覧会の絵」のラヴェル編曲も有名ですね。吹奏楽を経験した人であれば、ダフニスとクロエなんかも良く演奏されますよね!

    フランスで生まれたラヴェル

    ラヴェルはフランスの南西部に生まれました。

    父親が音楽好きだったために、幼少期からピアノや作曲を学びラヴェル自身が音楽の道へと歩んでいくことに対して激励したそうです。

    そしてパリ音楽院へ進学することになります。(現コンセルヴァトワールですね)

    オーケストレーションの魔術師と呼ばれるラヴェルの作風

    ラヴェルの音楽の特徴はなんといっても管弦楽法(オーケストレーション)にあると言えます。

    管弦楽法とは、簡単に言うとオーケストラをどのように使うかの手法のことです。

    管弦楽法は基本的に新しい時代になるにつれて研究されていく対象ですが、ラヴェルは計算しつくされた完璧な管弦楽法を用い、前衛的な音楽を書いていきました。

    実際にスコアを見てみるとわかるのですが、魔術師と言われるのもわかるほどにオーケストラを巧みに操っていることが分かります。

    ラヴェルとドビュッシー

    ラヴェルは当時活躍していたドビュッシーと同じく、印象派として分類されることが多々あります。しかし、作品自体はドビュッシーと似ていないだけでなく、古典的な形式を重んじており、ラヴェル本人も自分自身が印象派かそうでないかについては言及していませんでした。

    本人の中でもそれは答えを出さないテーマだったのでしょうね。

    だんだんと崩れていった体調、脳による病気で音楽を書けなくなる

    ラヴェルは1927年ごろから、軽い記憶障害に悩まされていました。

    しかし、その5年後にパリで交通事故に遭ってしまい、症状の進行が早くなってしまいます。

    酷くなっていった症状の中で代表作である「ボレロ」を指揮しますが、自分のサインすらまともにかけない状態にまで陥ってしまいます。

    時が経つにつれ病状は悪化していき、入院生活を強いられますが、最後には「頭の中では音楽が完成しているがそれを書くことすらできない」などと言い、作曲の筆が止まってしまいます。

    そのような最期になり、62歳の時に昏睡状態になり意識が戻らずに死去してしまいます。

    ラヴェルが病床にいたときに頭の中に描いた音楽はどのようなものだったのでしょうか。

    私たちにそれを覗くことはもう二度とできませんが、オーケストレーションの魔術師が残す最期の作品を見てみたかった気持ちがないといえば嘘になるでしょう。

    ラヴェルが健康な時にかけた曲の中で有名な曲は『ピアノ協奏曲 ト長調』になります。

    鞭の音で始まる第一楽章はとても印象的です。

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