クラシック音楽で大砲を使うあの曲って何?正体はチャイコフスキーの〇〇!

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クラシック音楽には、なんと本物の大砲が使われる曲があるんです。驚きですよね。

曲名は「序曲『1812年』」で、チャイコフスキーが作曲しました。

曲の詳細や、なぜ大砲を使っているのか?等々、この曲の背景に迫って解説していきます。

本物の大砲が使われるチャイコフスキー「序曲『1812年』」について解説します。

目次

1812年 (序曲)ってどんな曲?

チャイコフスキーは、母国ロシアがナポレオン軍を破った時の祝砲を表現するために、大砲と鐘の音を華やかに鳴らすことにしたといいます。

大砲が使われるのは曲のクライマックス付近。楽譜上に大砲(cannon)の記載があります。

一般的な演奏会ではバスドラムで代用されることが多いのですが、大砲を実際に撃った演奏会もあります。

なお、弾は入っていませんが火薬は本物で、とても迫力があります。

オーケストラとタイミングを合わせて撃っていることにも感心してしまいます。

自衛隊でも演奏されていて、大砲実射の合図は手旗信号でタイミングを送っています。
ラストの4台での斉射は圧巻です。

屋外での演奏で大砲が鳴らされる
自衛隊による演奏

大砲は勝利の祝砲を表現していて、火薬が入った本物の大砲を使った演奏は迫力満点

作曲された経緯

1812年はフランス軍がロシア帝国へ侵攻した年です。

この戦争は別名「祖国戦争」ともいわれ、結果的にロシア帝国が勝利しました。

親友からの依頼により、ナポレオンの侵攻に打ち勝ったことを記念して着工した聖ハリストス大聖堂の完成記念式典の題材として作曲されました。

曲中には、フランスの国歌でもある「ラ・マルセイエーズ」ロシア帝国国歌が使われています。

しかし、イベント用の曲で芸術とは程遠く、曲の引用によりチャイコフスキーのオリジナリティが少ないためもあってか、本人は「大愚作」と評しています。

初演は失敗に終わりましたが、その5年後のチャイコフスキー指揮による演奏が大ヒット。瞬く間に人気を博し、彼も困惑したという逸話が残っています。

人気曲だが、チャイコフスキー自身はこの曲を大愚策と評している

曲の構成

史実では1812年、チャイコフスキーの祖国ロシア帝国に、ナポレオン率いるフランス軍が攻め入ってきました。

はじめはナポレオン率いるフランス軍がモスクワを制圧するなど優勢でしたが、ロシア軍が反撃し、結果フランス軍は敗北しました。

「序曲『1812年』」もこの歴史にならい、 フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が徐々に弱くなり、クライマックスでロシア帝国国歌が全楽器で強奏されるという構成になっています。

フランスでこの曲が演奏されることはほぼありません。

実際の史実にならい、争いの過程をお互いの国歌の強弱などによって表現している

第1部 正教会の聖歌

冒頭では、ロシア正教讃美歌「主よ、汝の民を救いなさい」(”O Load, Save thy People”)の旋律が使われ、フランス軍の侵攻からロシアの人々を守るための神への祈りで始まります。

祈りの後、曲はだんだんと争いの始まりが近づくような物々しい雰囲気を醸し出していきます。

続くオーボエや弦楽器の不安で忙しい動きは、攻め行ってくるフランス軍とも、教会で祈るロシアの人々の心境を表しているとも言われています。

「O Load, Save thy People」

第2部 ロシア軍の行進

戦争を始める準備が整ったロシア軍の行進です。

スネアドラムのマーチのリズムを先導に、ロシアコサック兵団を表すファンファーレ風の旋律が現れます。

ついに戦闘開始。弦楽器の忙しい動きは、両軍が攻め入っていく様子を現しています。

第3部 ボロジノの戦い

第一主題の提示に続いて、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律が繰り返し現れ、フランス軍の勝利を思わせます。

その後一旦休戦し、故郷に残してきた家族や恋人を想うような、チャイコフスキーらしい美しい旋律の第二主題が現れます。続けてロシア民族が踊っている情景が浮かぶようなロシア民謡風の主題。

再びラ・マルセイエーズの主題が響きますが次第に貧弱になり、最初の大砲がここで5回発射されます。

お互いの国歌や、ロシアの民謡の旋律などがせめぎあうことで戦いの様子が表現されている

「La Marseillaise」

第4部 再び第1主題へ

冒頭の主題と同一の旋律をほぼすべての管楽器で演奏します。

ここに、ロシア正教会の鐘を強く意識した鐘が華麗に入ってきます。

H3 第5部 勝利の祝い

全楽器ffffの強奏で堂々とロシア帝国国歌が演奏され、鐘とともに大砲も次々とどろきます。

なお、ソ連時代にはロシア帝国国歌が演奏禁止されたために、ロシア帝国国歌の部分がグリンカの歌劇「イワン・スサーニン」の終曲に書き換えられました。

編曲者の名前を取って「シェバリーン版」とも言われています。

ぜひ聴き比べてみてください。

(ロシア帝国国家版)
(シェバリーン版)

ソ連時代にはロシア帝国国歌部分が演奏禁止に 
グリンカの歌劇「イワン・スサーニン」の終曲に書き換えられた

演奏見送りが相次ぐ

ロシアがウクライナに侵攻する中、ロシアの戦勝を祝う曲はふさわしくないとして、「1812年」の演奏をとりやめる動きが相次いでいます。

生前のチャイコフスキーはよく、妹が嫁いだウクライナを訪れていました。

人々が歌うウクライナ民謡に触れ、それを取り入れた交響曲も作っています。

あの有名な「白鳥の湖」も、妹の子どもたちのために作った短編バレエが元になっています。

今回の演奏中止について、天国のチャイコフスキーも思うところが多々あるかもしれません。

気兼ねなく「1812年」を演奏できる日が少しでも早く来ることを願ってやみません。

生前のチャイコフスキーは、ウクライナに深い縁があった

まとめ

「1812年」に大砲の音が使われている理由がお分かりいただけたでしょうか。

他にもタイプライターやボウルに張った水、果てにはヘリコプターまで、とんでもないものが楽器として使われている曲もあります。

クラシック音楽って予想以上におもしろい!と興味を持っていただければうれしいです。

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