19世紀のヨーロッパ音楽界では、ロマン派の時代が始まりました。
形式を重んじる古典派に比べ、ロマン派は、より作曲者の感情が曲に込められた時代でした。また、総合芸術としてのオペラが発展した時代でもあります。
ロマン派の作曲家といえば、ショパン、リスト、メンデルスゾーンなどが人気ですね。ですが、まだまだ大切な作曲家たち沢山いるのです。
- 総合芸術としてオペラが発展したロマン派
- 日本でも大人気なロマン派の作曲家を10人紹介します
今回は、ロマン派の作曲家たち10人について解説していきますね。
ロマン派の作曲家一覧して!代表曲や国籍は?
・フレデリック・ショパン(1810年~1849年 ポーランド生)
大量のピアノ曲を創作し、ロマンチックな作風から「ピアノの詩人」と呼ばれています。ワルツ、ノクターンなどの小品から、情熱的なバラードやソナタまで、ショパンのピアノ曲は世界中で愛され続けています。感情豊かに奏でられる「ピアノソナタ第3番」は代表曲の1つです。
- ショパンは「ピアノの詩人」と呼ばれていました
他の主要な作曲家たちとは異なり、生涯オペラを作曲することはありませんでした。また祖国ポーランドへの愛国心が強く、民族舞踊の音楽、マズルカやポロネーズをピアノ曲に取り入れました。
・フェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847 ドイツ生)
裕福な家庭に生まれ、幼いころから神童と呼ばれていました。指揮者・ピアニスト・オルガニストとしても活躍しています。複数の外国語が堪能であり、スポーツや美術も楽しむなど、多彩な教養人でもありました。ほがらかで純粋な人柄を表したような名曲を多く残しています。
- 幼い頃から神童と呼ばれ、裕福な家庭に生まれたメンデルスゾーン
- 朗らかな性格を表したような曲が多く、クラシック音楽の優雅さとマッチしています
哀愁を帯びた代表曲「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」は、ベートーヴェン・ブラームスの作品と合わせて3大ヴァイオリン協奏曲と呼ばれています。
・フランツ・リスト(1811年~1886年 ハンガリー生)
ピアニストとしても大活躍していたリストは、長い指を持ち、超絶技巧のピアノテクニックを誇ったことから「ピアノの魔術師」と呼ばれています。
当時は現代でいうアイドル的存在で、リストの演奏を聴いて失神する女性たちがいたほどでした。
超絶技巧を必要とするようなピアノ曲を多く残しています。
- 超絶技巧を駆使したピアニストであるリスト
- 現代でいうマイケルジャクソンのようなアイドル性で、多くのファンを魅了していました
鐘を意味する「ラ・カンパネラ」も、そんな難曲の1つです。リストの作品には、難曲でありながらも音楽的に豊かな名曲が沢山あります。
- 「ラ・カンパネラ」はピアノの中でもトップレベルの超絶技巧曲
・ロベルト・シューマン(1810年~1856年 ドイツ生)
自分で考案した指を鍛えるための装置が原因となり、右手を痛めたシューマンは、ピアニストの夢を諦め作曲家として歩み始めます。文学的教養も作品に込め、ピアノ曲や歌曲を中心に傑作の数々を残しました。
結婚する年に妻クララに捧げた歌曲集「ミルテの花」の第1曲目「献呈」は、のちにリストによってピアノソロに編曲もされています。優秀なピアニストであるクララとの間には、8人の子どもに恵まれましたが、シューマンは精神障害を発症してしまいます。苦しみながら作曲活動を続けましたが、自殺未遂まで起こす騒ぎになりました。
- ピアニストになる夢を諦めて作曲家として成功したシューマン
- 晩年は女性関係も多く、自殺未遂まで起こしてしまいます
フランツ・シューベルト(1797年~1828年 オーストリア生)
シューベルトは聖歌隊で歌っていましたが、音楽的才能を認められ、音楽の道を歩むことになりました。そして、膨大な数の美しいドイツ語歌曲を完成させたことから、「歌曲王」と称されています。その他にも、重厚なピアノ曲や交響曲なども作曲しています。
- 多くの名歌曲を生み出したことから「歌曲王」と呼ばれています。
弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」は、自身が作った歌曲「死と乙女」の一部を使用しています。美しく深みのあるメロディが印象的です。
・ヨハネス・ブラームス(1833年~1897年 ドイツ生)
ドイツの主要作曲家の一人です。同じドイツ出身であるベートーヴェンのような交響曲を作りたいとの思いが強すぎて、最初の交響曲を作り上げるのに約20年もの歳月をかけています。形式を重んじる古典派を受け継ぐ作風ですが、「ハイドンの主題による変奏曲」に代表されるように、変奏曲の作曲を得意としました。
14歳年上のクララ・シューマンに惹かれた時期がありましたが、シューマン死後も結婚することはなく、クララと残された子どもたちを支えました。
- ブラームスはドイツの先輩、ベートーヴェンを越えようと20年もの時間をかけて交響曲1番を作曲しました
- 変奏曲を得意とした作曲家としても知られています
・グスタフ・マーラー(1860年~1911年 オーストリア生)
作曲家として活躍する一方、オーケストラの指揮者としても高く評価されていました。交響曲と歌曲を多く残しています。壮大な交響曲1番「巨人」は代表作の1つです。
マーラーは41歳の時、19歳年下のアルマと初めて結婚しました。美しく多才なアルマは、結婚を機に作曲家の道を諦めています。アルマとの夫婦仲が上手くいかないことに悩み、マーラーが精神科医フロイトの診断を受けた話は有名です。
- 交響曲の大作家としても活躍し、指揮者としても有名でした。
- 代表作は交響曲1番「巨人」のほか、第五番などがあります。
・ジョキアーノ・ロッシーニ(1792年~1868年 イタリア生)
オペラ作曲家として、生涯で39曲ものオペラを作曲しました。作風としては陽気で明るい曲が多いことから、「ナポリのモーツァルト」とも言われています。
美食家であり、「~のロッシーニ風」という料理名は、ロッシーニから由来していることが知られています。
代表作であるオペラ「セビリアの理髪師」の中でも、「私は町のなんでも屋」はとても人気のあるアリアです。はつらつとした明るさを持ち、ロッシーニらしさが詰まった曲です。
- ナポリのモーツァルトと称されるロッシーニ
- 料理名にも付けられるほど、美食家であったことも知られています。
・ヴィンツェンツォ・ベッリーニ(1801年~1835年 イタリア生)
11人兄弟の長男として、シチリア島の貧しい家庭に生まれます。祖父は作曲家、父はオルガニストであり、ベッリーニ自身もわずか6歳で歌曲を作曲し、神童と呼ばれました。イタリア語のオペラの創作に没頭し、34年の生涯で12曲のオペラを残しました。
- 6歳でオペラを作曲し、34年という短い生涯で12曲ものオペラを作曲しました。
29歳の時に初演されたオペラ「夢遊病の女」の中で、ソプラノが歌うアリア「ああ、信じられない」は、甘く切ないメロディが人気です。ベッリーニのお墓には、このアリアの楽譜が刻まれています。
・ジュゼッペ・ヴェルディ(1813年~1901年 イタリア生)
「リゴレット」「椿姫」「アイーダ」など、イタリア語による傑作オペラを作り上げたことから「オペラ王」と呼ばれています。非常に美しいアリアを多く作曲しています。オペラ創作に力を注ぎ、それ以外の器楽作品などは、ほとんど手掛けませんでした。
悲劇的なオペラ「椿姫」の中で歌われる「乾杯の歌」は、とても華やかで人気のある曲です。現在は結婚式の乾杯の際に使用されることもあります。
- オペラの作曲家として活躍し、器楽曲などはあまり手掛けなかった珍しい作曲家です。
- 今日でも、椿姫や乾杯の歌はとても人気です。
ロマン派音楽の中でも有名な作曲家達:まとめ
今回は、ロマン派の作曲家たちについてご紹介してきました。10人の作曲家たちの人物像から代表作まで、一通り知ってもらえたはずです。
今回ご紹介した曲以外にも、まだまだ名曲はあるので、ぜひ気軽な気持ちで聴いてみてくださいね。感情に訴えるような曲や、聴きごたえのある大曲まで、ロマン派の曲を楽しんでもらえたら嬉しいです。